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出島 ~いずしま~ 復興支援・応援ブログ

出島体験ツアーについて

 東日本大震災の被災地、宮城県女川町出島は依然として復興途上ではありますが完全復興に向け皆頑張っています。今回、島の良いところを体験して頂くためにも、来年の夏休み時期に体験ツアー(一泊二日か二泊三日)を企画しようと考えています。スケジュール、料金等詳細はまだ決まってませんが、概要は以下の感じです(あくまで現時点でのアイデアです)。
ご興味のある方は是非本ブログまでお問い合わせください。

一日目 女川駅集合 ゆぽっぽで足湯→しまなぎ(定期船)で出島へ移動。
キャンプ場?でテント設営。散歩 神社。昼御飯、食材調達 島の人の舟に乗り、魚やホタテ、ホヤ収穫体験。調理 お風呂 夕飯 就寝

二日目: 朝の太平洋からのぼる朝日を見る。島の人との交流、お手伝い等。
昼ご飯BBQ。縄文時代の貝塚散策。岸壁で釣り→調理 お風呂 夕飯 それと夜釣りも!

三日目: テント畳む&撤収作業。状況に応じて民泊、海水浴、バーベキュー等の組み合わせも検討。


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# by risingisland1959 | 2015-12-12 19:01 | Comments(3)

八神純子

 本日付けの読売新聞の記事を拝借(画像省略)。東日本大震災以降の八神さんの積極的な被災地支援活動が垣間見れます。乞うご期待を・・・最近コメント短くてすみません。

日課は朝のジョギング…八神純子さん
2015年12月01日


 家族の住むアメリカと日本を行き来する生活を送っています。
 日本滞在中は東日本大震災の被災地を必ず訪れ、歌っています。
 震災の年の3月は、日本での活動再開に向け、準備をしていた時期でした。途方もなく悲しくなり、炊き出しに行って歌を届けたのが東北とのつながりの始まりです。今は駅を降り立つと、みんなが「純子ちゃーん」と手を振ってくれます。
 「みずいろの雨」や、東北との出会いから生まれた曲を歌うと、「昔と変わらない歌声ね」などと言われます。これまでに積み重ねてきたものを表現するためにも、ボイストレーニングを続け、栄養にも気を配った食事をしています。
 朝のジョギングも日課にしています。元気に活躍しているアメリカの友達と知り合ったのが始めるきっかけです。皆それぞれに体を鍛えていました。私の場合はどこにいてもすぐにできるジョギング。最近は、走る途中で、気になるお店で買い物したり、景色の良いところでコーヒーを飲んだりして戻ってきます。その土地の魅力や人情に触れられるので、東北やツアー先でもやっています。
 人と触れ合うのはすごく楽しい。これからも歌って旅をし、感動を分かち合いたいです。(聞き手・山口正雄、写真・加藤祐治)

八神純子(やがみ・じゅんこ)さん
シンガー・ソングライター。愛知県出身。1978年、「思い出は美しすぎて」でプロデビュー。86年に結婚し、渡米。全国を巡るコンサートツアー「あなたの街へ」を展開中。

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# by risingisland1959 | 2015-12-01 13:06 | Comments(0)

8、9基目の「いのちの石碑」-1000年後の出島へのメッセージ

 毎日新聞地方版 11月1日付けの記事を紹介。この様な地道な活動を継続している女川中卒業生たちに感謝。
あとはこういう石碑などを目にすることにより、日常から個人個人の津波含めた震災に対する意識を高めていくことが必要だと思う。

東日本大震災:女川中卒業生、離島に初「いのちの石碑」 「津波の記憶伝え続ける」 出島の2地区/宮城 毎日新聞 2015年11月01日 地方版

 東日本大震災の教訓を後世に伝えようと活動する女川町立女川中の卒業生グループ「女川1000年後の命を守る会」は31日、津波到達地点を知らせる「いのちの石碑」の8、9基目を町内の離島、出島(いずしま)の2地区に設置した。住民らは「子どもたちが未来を運んできてくれた。津波の記憶を伝え続ける」と約束。高校生も「もっと活動を続けなければ」と決意を新たにしていた。【百武信幸】

 出島は女川港から片道約1時間の定期便で1日3便結ばれている。震災時は2地区に約500人が暮らしていたが、25人が死亡・行方不明となり、全島避難は約4カ月に及んだ。島にあった小中学校は本土の学校に統合され、住民によると、居住者は100人以下に減少しているという。

 女川中卒業生は寄付金をもとに在学中の2013年11月から石碑の設置に取り組んでおり、町内で計21基の設置を予定している。離島は今回が初めて。

 8基目が設置されたのは島北部の出島地区にある永清寺の境内。震災時は約40人が避難した。地区の高齢者ら10人は、当時と同じように助け合いながら階段を上って除幕式に参加し、卒業生が読み上げた「大きな地震が来たら、この石碑よりも上へ逃げてください」という碑文の言葉に聴き入った。区長の酒井実さん(74)は「碑を見守り、頑張って出島の再生に尽くしていく」と力を込めた。

 9基目は島南部の寺間地区にある厳島神社の参道に建てられた。区長の須田菊男さん(66)は、小学5年の時にチリ地震津波に遭った記憶を卒業生に語り、「当時は人的被害がなく、その経験があだになって震災の時に家に戻ってしまった人もいる。この石碑で、1000年後まで教訓を伝えてほしい」と呼びかけた。

 参加した阿部健さん(81)は「震災後、島に子どもの姿がなくなり希望を失った気がしたが、この子たちが碑とともに未来を運んできてくれた」と笑顔で話した。

 この日参加した卒業生はメンバー23人のうち高校2年の3人。伊藤唯さんは「助けられた感謝の気持ちをもっと形にして残したい」。山下脩(しゅう)さんは「観光で島に来る人もおり、一緒に逃げて命を守ってもらえたら」。神田七海さんも「『石碑を見守っていく』という言葉がうれしかった。自覚と責任を持ってこれからも活動を進めたい」と、それぞれ今後への決意を語った。

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# by risingisland1959 | 2015-11-01 14:13 | Comments(0)

離島なお不安@出島

数日前の河北新報記事の一部抜粋。震災からの復興もさることながら、島民の間ではやはり原発事故に対する不安がまだまだ解消されていない。

<検証避難>退避施設整備 離島なお不安

廃校の教室を改修した屋内退避施設の内部。町職員(左)から住民が説明を受けた=14日、宮城県女川町の出島

◎震災4年7カ月(3)計画

<「逃げ道はない」>
 東北電力女川原発(宮城県女川町、石巻市)が立地する牡鹿半島は、険しいリアス式海岸に集落が点在する。東日本大震災では大きな被害を受け、沖合の島を含め多くの集落が孤立した。緊急時の避難は困難な地域だ。
 女川港から船で20分。女川町の出島(いずしま)に立つと、原発の建屋が海の向こうに見える。原発5キロ圏の予防的防護措置区域(PAZ)に指定される。
 荒天時、最短部で300メートル離れた本土への渡航は不可能になる。町は4月、島民全員が避難できる定員119人の屋内退避施設を、国の全額負担で整備した。
 閉校した小中学校の一部234平方メートルを改修した。3重の換気フィルターと出入り扉が放射性物質を防ぐ。気密性を重視し、上下水道はなく、ペットボトルと簡易トイレが頼り。発電用重油と食料の備蓄は3日分で、その間に救援を待つ。
 「立派な施設だけれど、居心地は悪そう。事故は絶対に起こさないでほしい」。見学した住民の木村幸子さん(66)がつぶやく。
 震災後、島に住む人は本土への避難で2割以下に減り90人を割った。ほとんどが60代以上。海の仕事に男性が出掛け、島内が高齢の女性ばかりとなる日中の事故対応に懸念が募る。
 漁業の須田勘太郎さん(75)は自家用船の活用に言及する県の避難計画作成ガイドラインを批判する。「雨風のときは逆に危険。津波との複合災害なら船は皆流される。安心できる逃げ道は橋以外にない」。2022年度の完成を目指す出島架橋を命綱に位置付ける。



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# by risingisland1959 | 2015-10-26 11:50 | Comments(0)

出島にシカ?

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 とても久しぶりのブログ更新となります。自分自身で、忙しさ等言訳こいています。
 今回は、「出島にシカ?」との数日前の河北新報記事。ちょっと信じられませんが、もしそうだとしたら、やはり震災以降の島及び周辺の生態系が大きく変化しているのかもしれません。でも、どのようにして出島に渡ったのだろうか? 考えられるのは本土からか、金華山辺りから泳いで渡るしかない筈。
 人間もそうであるが、他の動物も生きていく為には本能的にあらゆる可能性を探る。本当にそうならシカによる農作物への被害が危惧されるが、なんとか共存できる方向を模索すべきかと思う。
 *画像見ずらいのはご容赦ください。

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# by risingisland1959 | 2015-09-30 18:49 | Comments(0)

宮城牡鹿半島の付け根に位置する小さな離島も東日本大震災で壊滅的な被害。復旧・復興に向け何とか応援したい!
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